ゲームのCGMについて考える

CGMというはCGM(Consumer Generated Media)とは - IT用語辞典 e-Wordsですが。
僕はこのCGMをゲームソフトにうまく適用できないかなぁと最近よく考えています。
CGMをうまく軌道に乗せるにはユーザーコミュニティの上手な運営の仕方が肝とLife is beautiful: 「CGMサービス」と「0と1で割り切れるデジタルの世界」との妙なミスマッチに書かれていますが僕はゲームソフトの場合は、加えてゲーム開発にユーザーも加わる事が出来る事も必要だと思います。

ゲーム開発にユーザーが加わるというのはすでに欧米でMODとよばれるソフトを提供する事で可能にしています。
(MODについてはmodとは - はてなキーワード

あるゲームのファンがいて、そのファンがMODを使って自分オリジナルの迷路とかを追加し、友達にそれを勧めて、その友達も興味を持ち…

みたいな流れでファンが増えていく。
まぁ欧米は中小の開発社が成功するためのひとつの手法としてCGMを行っていたんですね。

日本に目を向けると、RPGツクールなんかがMODにあたるのかな。

最近では、ゲームとちょっと異なってきますがニコニコ動画初音ミクも上記のファンが自分も加わって開発(この場合はクリエートという言葉に置き換えた方がしっくりくるかな)ができるという意味でMODを使ったCGMに似ているなぁと思います。

次にCGMみたいな事ができなさそうなソフトを考えてみようと思います。

ボナンザ(BONANZAとは - はてなキーワード)、将棋ソフトなんですが、いい意味で人間臭いそうです。

このソフトのアルゴリズム線形計画法に基づいて作られているそうですが、まぁ乱暴な言い方をすれば過去の様々な棋譜を点数付けして、今の盤局と照らし合わせていい手を判断するみたいな感じです。

またもや乱暴な言い方をすれば、点数付けと判断というアルゴリズムを強固にしていけば、覚えた棋譜の量に比例して強くなると言えると思います(多分そう簡単に事は進まないだろうなぁと思いますが…)。

で、棋譜をボナンザに覚えさせる作業をMOD化できないか?と考えてみると僕の答えは「難しいんじゃないかなぁ」。
MODソフトは作る事が出来ると思います。
でも、自分が覚えさせた棋譜がボナンザの強さにどれぐらい貢献したかが見えにくいと思うんですよね。

MODソフトが成功するかどうかって、ユーザーがそれを使って作業した結果がすぐに分からないとユーザーにとって興味がなくなるんじゃないかな。
見た目でも中身でもいいから、すぐに自分のやった行為が確認できるとモチベーションがあがりやすいとおもうんです。

まぁ想像で話しているので実際やってみたら成功するかもしれないですが…。
でも単純にやったら失敗する確率が高いだろうなぁ。